昭和40年10月01日 月次祭
お祭りを奉仕させて頂いて、この長い廊下を通ってまいりますと、行き当たりに最近までみかんの絵が掛けてあった。額になんかこう芭蕉の絵が描いてあるような絵が、こう掛けてあるんです。もうあれは福岡の渡辺先生が描かれたものです。何時もその時期時期に代えていかれるのですね。ところが芭蕉の絵が描いてあるようで、そこでそばで仔細に見たら、あらこら芭蕉の絵じゃない、こら冥加を描いてある。
下に冥加の花が描いてあるそれがその、芭蕉の葉のようにこう描いてあるもんのですから、私芭蕉の葉と思うとったら下に冥加の花が描いてあるから、こら芭蕉ではなくて冥加だなと分かったんですけれども。これに良く似た句がございますですね。川柳でしたか。「猫でない、証拠に横に竹を描き」というのがあります。まあ渡辺先生が下手というのじゃないですよ。けれども下手な絵描きさんが描いたその虎なんですよ。
けれどもこれは虎を描いてるんだというわけで、その横に竹を描とかなければ虎やら猫やら分からん(笑いながら)絵じゃから。私共が信心させて頂いて、なるほど誰が見ても、誰が聞いても、信心を頂いてござると分かるようなおかげを頂きたい。ね。誰がみてもこら虎だと。誰が見てもこれは冥加だと。下に描いてあるのは冥加の花だと。下に冥加の花を描いてあるから冥加と分かった。
それは芭蕉かと思った。後で先生が聞きよんなさったらおごらっしゃろばってん。先生方もこれは芭蕉じゃ、芭蕉じゃないてあんた、そら下に冥加の花の描いてありまっしょうがげな。はあそんなら冥加ばいのち言うてから。くるくる見てきた事で御座いますけれどもね。もうほんとに一つ折角信心の稽古をさせて頂くのでございますから、ね。誰が見ても冥加。誰が見ても虎だと。
例えばその虎一匹描いておっても、虎だとわかるような、これは猫じゃなかじゃろかというように見られんで済むようなです。絵の描けるところまで、そういう信心を頂きたい。もう誰が見ても誰が聞いても、なるほど信心を頂いてござる証拠だと。信心を頂いてござる印だというように。ね。そのために先ず私はです。その虎に似た猫でも描けるように先ずならなきゃいけない。竹を描けばなるほど虎です。ね。
でないと自分自身が助からない何時までも。誰が見ても、誰が聞いても信心頂いてござる印だなあと。ね。信心いただいてござる人は違うなあと。もう誰が見ても一時付き合いよったら、何とはなしにやっぱ信心頂いてござるけんで、やっぱ違うというふうに分かって来る様にですね。もう出来るならばです。そこを目ざさにゃいけません。どんな場合でもどんなときでも、どういうことに直面致しましても、ね。
どっこい信心でそれが、皆んな処理されていく。それがみんな有難いものに成って行く。そのおかげで、こういうおかげを頂いたという事になって来なければいけない。どうでしょうかねえ。皆さんの虎はどうでしょうか。皆さんの冥加はどうでしょうか。私共が描いたらもうそれこそ、芭蕉のごたる風に、下に冥加の花ちは分からんように、芋かなんか分からんように描くでしょうね。
そしたらこらいよいよ、芋じゃろか芭蕉じゃろかちいうごたる風になってくる。今度は自分では、冥加と思うて描いとるばってんが、人は芋ぐらいにしか見とらん。そしたらその下のほうの冥加だけは、はあこら確かに冥加の花だなあと思うのが二つばっかり描いてありました。目の前に。何時か二階に上がって御覧なさい。ほんとに、あの、芭蕉のごたるじゃん。渡辺先生に言うちゃいけませんよ。
今日豊美が夕方お花を頂いたので、お花を入れておりました。どんな風に入れようかと言うてから、私が秋を入れなさいち言うた。なかなか花を入れるだけなら良いばってん、ほんとに、秋を入れるということは、なかなか難しいのです。本当にもうその花を見ただけでです。もう本当に秋だなという感じを出しなさいという。まあいろいろ何遍も何遍もしてから、まあんな花が出来てるわけなんです。
あれは豊美が秋を入れているのですがどうでしょう。なかなか難しいんですよ。私は今日真ん中の、四段目の真ん中にしてあるのは、もう私は秋を盛ったつもりなんです。ところがどうも秋のごつ無いですね。どっかこう唐芋堀かなんかに行ったつの帰りのような感じですね。あの中には本当に秋が大体いれて有るんですよ。大きな栗が。ね。今走りの栗やら。それやら最近見事な柿やら、そして上には松茸が、いっぱい大きな見事なのが、入れてあるんです。ね。
ですからもう秋を盛ったつもりなんだけれども、下手なもんだから秋が盛ってあるというふうに見えない。唐芋かなんかじゃろという風にしか見えない。どんなふうに見えますでしょうか。見えないでしょう。あれには大きな栗がいっぱい入っている下のほうに。その、工夫をしたんですけれどもね。あれは松茸なんかはシダが良いんですよ。それから、わざわざ暗いのに、シだを取りにやりましてね。
そしてそのシダを入れたりなんか工夫したんですけれども、結局盛り方が悪い。あれは、秋永先生かなんかが、本当に秋を盛るのでしょうけれども、ね。あれだけ秋の材料を寄せてあるのですから。先日波多野さんから頂きました、手風琴に最近コーヒー開きがあった。その句碑に書いてある、あれは青雲とか何とか言う先生の句なんです。ね。「秋といえば、秋の心にかんじおん」と書いてある。
「秋といえば、秋の心にかんじおん」と、ね。夏を問えば、夏の心にいわゆるかんじおんでもいいでしょうね。ほんとに、あの、秋の清々しさというか、そのお寺さんでしょう、その佇まいとか。ほんとに秋のそれを、その句の中に感じることが出来ます。私共がね、一事が万事にそういう一つの句をひねるような、またはそのお供えを盛るような、絵を描くような、いわゆる秋を描こう秋を盛ろう、ね。
秋の花を入れるなら、秋をそこにいける気持ちでです。私共の信心が生けられ盛られ、ね。またはひねられしてまいりましたら、有難いと思うんですねえ。一本の花でもその花を如何に生けたら、秋を生けられるかと。如何に生けたら秋らしくなるかと、同じ菊の花一本でも。これに何を添えたら秋らしくなるかと。様々に練った上にも練り、私はその稽古した上にも稽古させて頂いて。
初めて本当に秋らしい花やらいわば盛り付けやら、または、その中に誰が感じてもその秋の気分まで、またその佇まいまで句の中から感じられるような句が生まれてくるのだとこう思うのです。信心させて頂くものはそこに、焦点をおいてです。なるほど信心しござるけん違うなあと。ところが私共の場合はそこの今の、この盛り付けの秋を盛っているのですけれども、秋やらなんやら分からん。
唐芋堀の帰りのごたる感じ。相すまんと思う。稽古ですやはり。今朝からもこの稽古ということについて頂いたんですけれども、お互いが本気で稽古させて頂いたらですね。もっとましな、私はおかげも自分の心の上に頂くところの、いわゆる竹を描かなくても虎であると分かるような虎が、もう十五年も経つのでございますから、描けなきゃいけんのじゃないかと思うのです。
信心のあるもんやら無いもんやら、猫やら虎やら分からない。ならば、せめてそこに、竹でも描いて、猫じゃない虎でございますとこう、みんなが感じてくれるようなところまでおかげを頂きたいなとこう思うのです。どうでしょうか。たまにはそれがありますですねえ。自分ながらほんとに有難い心で受けさせて頂いた。自分ながらなるほど信心頂いておるけん有難いなあと思った。信心頂いておるから有難い。
信心のあるものも無いものも分からない。けれども、その直ぐあとには、やはり信心で考えておるから、それが信心で受け取る事が出来る。そういうのは、虎の横に竹を描いたようなものだろうと私は思うのです。ね。なかなか思うような答えが、その時その時にぱっと出てこない。ほんとにこの今日私夕方でした。何かそこに勝手のほうで子供達が卑しんぼしよりました。
そしたらもう私から言われん先に、栄四郎が言うのです。僕ほんにいやしんぼじゃけんで、乞食になってからずうっと、今頃廻ろうかち言いよる。だから私が申しました。「あんた乞食にゃ、似合わんばい」ち。「なしや」ち。ねえ、あんたはね王子様のごつしとるけん、あんたは似合わん」ちいうたら、「ああそうそう、お父さんによう似とるもんじゃけんね」ち言うた。(一同笑い)もうその辺のことがですね。
もう本当に私は、どうも言いようの無いくらいでした。お父さんに似とるけん、やっぱり乞食には似合わんち。そういう風にどんな場合にもですね、もう本当に笑わにゃ居られんようなことが言えれるような内容が欲しいですね。どんなことでもどんな場合でも、ね。私はそういうその、おかげの頂けれる、内容を何時も讃えておかなければならない。ためには、やっぱり稽古がいるんです。
「物言えば、唇さみし秋の風」もう自分の一言言うたら、その言うた事がです。ね。相手にコリを積ませておる。言うた自分自身も、なんとはなし寂しい。ほんとに、有難かった。有難いことを言わせて頂いた。と、いえれるような言葉をね、何時も心の中に用意しておきたいものだと思う。ね。無いようです。一言言えば、誰か人のこう何か骨身に刺すような、この表現しか出来ない。
これでは私は何時までたっても、一人前の絵描きになれないと。ね。なんだかほんとに、和らぎ喜ぶ心の中から出て来ておるんだなと言った様な表現態度、ね。いわゆる実意丁寧になりたいもんだと思う。その為にはやっぱり本気でそこに焦点を置いての稽古がなされよらなければならない。ね。所がお互いが稽古をしない、毎日通うて来るけれども。今朝も田代さん、朝の御祈念の参拝の方にも話した事ですけれど、ね。
大体言うなら、もう五年も本気で信心の稽古をするという気になりゃです。出きんことはないです。今日昼から長男が、ここでその大祓いをあげておるとこう思うておった。と私は初代かなと思わせていただいたら、徹さんが一人で大祓いをあげておりますもん。それから私わざわざまたこう、出て行ってから見ましたら、やっぱり間違いない徹さんです。私はどうしていわゆる。
ここの若先生があげております祝詞と、もう聞き分けの出来ないくらいに、そのままそっくりにあるんですよ。ね。声帯模写をやっておるように見事です。もう兎に角まあいうならば若い者同士でなからなければ、若い者同士のそれが分からない。信心もやはり、若先生の信心に一生懸命について行く。ですからもう声色からもうその、あげ口まで同じですもん。悪い癖があるとその悪い癖まで一緒なんですもん。ねえ。
一生懸命稽古している証拠なんです。どうでしょうか皆さん本当にです。一生懸命に稽古なさらなければいけませんよ。もう一つ一生懸命の稽古をするもうしだごだではですね。本当に何時迄たってもしだごだ。おかげだけは頂いても、御徳は受けられない。その大工さんの弟子に十五年間も言っとったち、聞いた事ないでしょうが。もう皆さんも言うならばまあ十年、十五年そ、大工さんの弟子に行っとりなさるようなもの。
まあだそしてから、かんなの掛け道も本腰に分からんち言うごたる、その皆さんのような感じがするんです。第一そのかんなの研ぎ道がまだよう分からんごたる。一丁一丁お師匠さんに研いでもらわにゃできん。もう五年や六年経ちゃ一人で、大体ちょっとした家ぐらい建てられるくらいにならなきゃいけんのに、結局本気で稽古がなされて行かないからじゃないだろうかとこう思うのですよね。
もうここでの一つの稽古というのはですね、もう決ってるんですから。先日私が御理解頂いてますとですね。「天地のこと、よりて整う」天地のこと、よりて何だったかね、より、あっ、あ、よりて治まるということです。天地の中に起きてくることを一切が収まらなければならない。一切が、伴わなければならない。どういうことでもどういう願い事でも、それが成就しなければ成らない様に成っている。
揉め事も治まらなければならんごと出けておる、天地の事は。所がお互いのはよりて整わない。よりてよりて治まらない。何時も乱れておる。よりてと言う事はですね、そうそうそうよそれだから治まらんのですよ。それだから整わんのですよと言う事なんです。ね。ですからそこん所を私は、それば私が今度感じたことを、私は何時もお風呂へ入って、そのお風呂へ入ったらそのお風呂の湯加減とか、それからその湯が多い少ないと言った様な事で、それを自分の信心の一つのバロメーターにしておる。
間違っておるときには、もう熱つうして手が浸けられんごつ熱か。いや熱い事は熱いけれどもうめたら丁度、越さんおい過ぎるもせんくらいに丁度なるという具合に、もう私が入ったら入るときも一杯にならなければならない。上がるときにもやっぱり浸かっておるけれども、あとが沸いておるから一杯にならなければならない。そういうときであって、私の信心が、いわば間違いのない時だというふうに感じておる。
先月入らせて頂いておりましたら、どうもお湯が少ないのですね。はあこら間違うとるなと思いよったら栄四郎が、僕も入ろうち言うて入ってきた。栄四郎と二人入ったら丁度お湯が一杯になった。はあおかげ頂いた、間違ってなかったなあと思った。そしたら家内が、そのお雑巾掛けするきんお湯一杯下さいち言うて、バケツもって取り来た。一杯でもだからガバットこう減った。
ま一時しよったら、今度内田さんがま一杯下さいち言うてまた貰いこらしゃった。そして二杯減った。もうお湯の少なかとに、そげんもって行くなち。今頃冷たかっでもなかとに、どうしてそげんお湯がいるかと、例えば言うてもいいのですけれども、やはりご都合なんですからね。やっぱり取りに来たんだから、貰いに来たんだから、やらにゃあいかん。ね。それでいても、今度上がるときには、丁度その加減に沸いておるから、うめさせて頂いたら、丁度一杯である。
はあほんとに言わんでよかったとこう私は思うのです。例えばもうそのやらんといやあ、そらやらんで済んだでしょう。けどそれだけは、けれども越させなければならんでしょう。そう言う様な例えば、お風呂加減一つの中からでもです。私共は何時も自分の信心という、その調子を見ていかなければいけない。そう言う様な有り方にならせて頂くところにです。ね。そういう日々がなされていくときにです。
その内容たるやです。どのようなことでも、私が有難く受けられる。いや受けれれんでも、直ぐ横に竹を描きゃそれを虎と認めてもらえれるだけのものになれれるとこう私は思うのです。どうでも一つ皆さん椛目での信心の、稽古はそういう天地の中のことです。よりて整うのであり、よりてあらまた忘れた。(一同笑い)あぁたがたを覚えさせようと思うてから忘れよるとですよ。
そこんにきが丁度さっきのお湯じゃないばってん、どげんかと(うっはっははは)ああそう、前んとばちゃんと覚えとろが。(うっはっはっはっは)(一同大笑い)あげな風にして教導していかんならん。忘れた振りしてから。ね。だから治まらんときには、よりて治まってないんだと。この中にそういうよりてがあるんだ。だから治まらないのだということなんです。ね。そこを私は日々刻々そういう働きの中にです。
おかげを頂かせて貰うたら、ね。それこそ秋といえば、秋の心にいわゆる感じおんというようなです。心の状態が、生まれてくるのじゃないだろうかと。ね。もう秋であるというのに、清々しいというのに汗ぶるぶる流して、真夏のごたる、と言う様なこつじゃいかんでしょうが。ね。心の状態いかんなんです。どうでも私、そこんところをおかげ頂きたいと思いますね。
本気で例えばその絵なら絵の勉強をする。盛り付けなら盛り付けの勉強をする。これだけの材料、これだけ秋の材料を与えられておってから、秋が盛られないということは、可笑しいと思うのです。そうでしょうが。栗やら柿やら松茸やら、それこそ秋の走りのものばかりをです。しかもその篭には一番似合うた篭なら篭が与えられておるのですから、秋が盛られなければ嘘。
ところが、私が今日盛っておるのは、まあ唐芋を篭に入れてあるごたる風にしか見えないというところにです。こちらの稽古不足が感じられるのです。私の信心はそれじゃないですけれども、ね。確かに自分は冥加の冥加いしのと冥加の花ば描いてあるとです。どうして見ても芭蕉のごたる、私が見たら。はあこれは芭蕉ば描いてあるとばいなと私が思いよった。そしたらなるほど、下に冥加の花がちゃんと小さく描いてある。
はあいやこら、芭蕉じゃなかったいこら冥加たいと。これが冥加の石ので、これは冥加の花ということが分かるんです。ね。ですからあれがもっとその素晴らしゅう先生が描かれるようになればです。誰が見ても芭蕉とは見らんだろうと。冥加と、一目瞭然その冥加であるということが分かるようになるだろう。花でもそうです。如何にその秋の季節の花々をですたい。様々なそのものを、皆さんが採ってみえられましても。
なかなか秋を盛るということ。秋を生けるということは難しい。やっぱり洗練された上にも、洗練されなければ、それを生けることはできないと。ですからもう稽古しなかったら何時までたってもです。もうほんなごちゃごちゃに生けてしまうんです。折角の秋を生け上げきらん。盛り上げきらん。練り上げきらん。自分の心にです、ね。有難いというものをなしきらん。
先日から、二十三日の御霊様のお祭りの前日に、山本に居ります父の兄でございます。私のたんに叔母です。もう八十六か、七になります。毎年私は二回づつぐらいは、自動車を持って、迎えにやりますもん。もう、この叔母が私のまあいわば、里のことを一番思うてくれた叔母です。ですから、私もそれが忘れられません。もういつも私が、その自動車を持って迎えに行く。そして居る。
帰るというまで私がここで、大事に取り扱わせてもらう。年年歳歳ですもう来るたんびに年寄っていきよる。もう今度なんかはですね。もう大変喜んで来たんだそうですけれども、もう二階から下へ降りてから、ご飯食べに降りるのがもう、ひどいらしい。二階に食物を運んでやらなければいけない。今日お月次祭でも頂いて帰ろうと言いよりましたから、そうかと思ってたところが、その嫁から電話が架かってきた。そしたらもう、途端に子供と同じですね。帰りたくなったんです。それで、妹が直ぐに自動車を呼びましてから、そして、妹が付いて送りました。もう、自分もこれが最後じゃろと、いつもそげん言いますもん。今度という今度は、私もこれが最後かも知れんとこう思うたんです。
それでまあ、そのう、そういう挨拶を心の中に神思いながら、その、別れさせて頂いて、私がちょいと、あのう、合楽の方に自動車を向けてあちらのほうへ、自動車のななからでも良いから、ここが、この四月に成就するここのお広前、今、住宅が出来よるき、まあ、あちらの模様だけなっと見せてこいち言うてから、私が、見せにやりました。大変喜んでから、あちらに参りました。
それから、そこまでのことですから、十分か十五分かすると帰ってくると思うから、私は、帰ってくるのをこうして待っておった。そして、私の心の中に、もうこれが最後と思うんです。「ね」。たら、もう、十四、五分しておりましたら、帰ってまいりましたら、また、私のところに車を止めてから、いうなら、最後の別れをさせて頂いたんですけれども、もう、叔母ちゃんこれが最後かも知れんとこう、私の心の中には、もう、自分もそうだろうとこう思うのです。自動車の見えるまで手を振って別れたわけでございますけど。
ほんとにもう、これが最後かも知れんと思いますとですね、もう、思いを込めなければおられませんですね。もう、いい加減なことは出来ませんですね。とても、相手に、コリを積ませるようなことは言えませんですね。もう、相手が喜ぶように、相手が安心するように、態度でも、私が立って待っていましたら、この涙を出して喜びますけれども、横に居った者中が感激しております。私があすこに、立って待っとりますもんですから、帰りを。
私はこういうような気持ちになったら、今日私が言うほんとの稽古が出来るのじゃないかと。今日が最後かも知れん。そういう私は、一途な、一生懸命な思いでです。稽古というものはなされなければいけんのじゃないかとこう思うのです。
例えば徹さんが、ここに何時何時までと年限を切っているわけでは無いですけれども、あれなんかは、自分で体得したら。この頃ちょっと帰ってみた。はあ帰って、もう大分出来とるごと思うとったが、帰ってみたら、出来とらんごとが分かったから、もう直ぐ、私のほうまで帰ってきて、まあだこんなに、出来とると思とったら、出来とらんじゃったごたる。だからまた、ここんとこをさがんならんというわけ。
「ね」。この頃から、丁度、一月間、若先生を先頭にみんなここで、大祓い五巻の奉修があっておりました。その一月間の間に、その信心は覚えんけれどもです。「ね」。大祓いを上げさせるならば、もう、横から聞きよるなら、若先生が上げよるとじゃろうというふうに、寸分変わらんようにあげます。癖までそのまま上げます。もう、驚いてしまう。一生懸命というか、「ね」。
私は、本当にです。例えば、自分の心の中にです。はあ、まあだ、こげなこんくらいの事が、こんくらいにしか受けれれ無いという時です。これだけの材料を頂きながら、日頃、これだけの御理解を頂きながら、これだけの信心をさせて頂きながら、そして、私の心の状態というのは何と言う、貧しい私であろうかと。事のあるたんべんに分からせて貰うて、それからまた、一生懸命のです。あれが信心のその稽古がなされていかなければいけん。
それをね、稽古なさらなくても、毎日お参りさせて頂いて、それが、まあ、終生願うのがお参りになり、また、何か御願いする事が有るからお参りをする。そら確かにおかげを頂くんですけれど、日参しよら、やっぱなんと無し自分の心を、その、今日もお参りしたという一つの、まあ、安全感程度のものは頂くのですけれども、それではいけん。安全感じゃいけん、安心でなからにゃいけん。どんなことがあっても驚いてはならん。どんなことがあってもそれをです。どっこいと、直ぐ信心で受けられるだけの、おかげを頂かせて貰うたら、後が楽だと。
繰り返し、繰り返し同じような事柄でもです。失敗したなら、その直ぐ側に、いわゆる竹を描かせて頂く努力が要る。そして、自分では、竹を横に描かなければ、みんなが虎と認めてくれない自分であるというところの信心が、先ずなされなければいけない。そして、その次には、竹を描かんでも、ほう、これは虎が描いてあるたいと。これは冥加が描いてあるたいと、分かるような絵が描けれる様な。
秋を生けることが出来るような、秋が盛れることが出来るような、材料だけはいっぱい、私共の側に置いてあるんですから、喜びの稽古をさせてもらう稽古の材料は一杯あるのでございますから、秋には秋、夏には夏がです。盛れれるようなおかげを頂きたいもんだと、私も勿論、その稽古に専念させて頂くのですけれども、皆さんもそこんところを、焦点をおいての稽古で無からなければ、ただ、参っておると、ただ、御理解を頂いておると、巧者にはなっておるけれども、ただ、耳だけが巧者になっているのであり、耳だけが豊かに肥えているのであってです。
心が肥えていない証拠にです。豊かな心で受けられないでしょうが。豊かな心で言えないでしょうが。豊かな態度が取れないでしょうが。「ね」。それは、ただ、御理解を頂いて、こう、耳だけがいうならば、豊かになって居るからだということ。「ね」。仏教のお説教の笑い話じゃないですけれども、地獄、極楽をめぐらせて頂いたところが、沢山(録音が飛んでます)やはりここだけで稽古するのじゃない。もって帰って家でまた、やはり稽古させてもらうところにです。限りなく自分の心は改まらせて頂けるだろうと、磨かせて頂けるだろうと。
その事を通して、そこに、天地のこと、よりて整うていくのであり、よりて治まっていくところの、おかげになってくる。どうぞ金光様のご信心はここ一つに、絞っていく以外にないと、まあ、そんなふうに思うのです。
どうぞ、よろしゅうおかげを頂きますように。